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「可愛くなりたい」妄想ストーリー





可愛い、かわいい、カワイイ

生まれてこのかた、可愛いに晒されて生きている。

人間に目があって、そこから沢山の情報を得ている以上、常に可愛いの戦いにさらされて生きることは、女の子としてこの世界に誕生した以上仕方の無いことなのだ。可愛ければ、いろいろなものがきっと手に入るんだから。だから私は可愛くなりたい。限られた時間と、お金との中でも最大限に可愛くなる方法を模索し続けるのである。

 

私と「可愛い」の間の戦いの歴史はとても根深い。それは4歳の頃からなので、今年で18年もの付き合いなのである。

「紗英ちゃんはピンクが似合うから、譲ってあげようね」

幼稚園で園児がお父さんと一緒に走る競技。ちょっと恥ずかしそうだけど嬉しそうなお父さんの顔を見て、なんだかこちらも恥ずかしくなってしまう。

私のレーンには、幼稚園で「綺麗な子供」として有名な紗英ちゃんがいた。母も「あの子は本当に綺麗ね、女優さんになれそう」と度々言っていたような女の子だ。子供の頃の私は、紗英ちゃんの’’綺麗な顔’’を羨ましがることすらまだ覚えていなかった。確かに、すごく綺麗な顔なのかもなぁなどと思っていた。

競技が始まってしばらく走った先に、幾つかのフラフープが置いてある。水色、緑、黄色、そしてピンク。4歳の私は(今もだけど)ピンクが大好きで、どんなものを選ぶときにもピンクを選ぶという拘りを強く持っていた。もちろんそのフラフープもピンクを選び、ピンクのフラフープを持ってゴールしたかった。絶対に。

私がフラフープ地点に到着して程なく、紗英ちゃんも到着した。すでにピンクのフラフープを手にした時に紗英ちゃんは言った。「紗英ピンクがいい!」

私のお父さんと、紗英ちゃんの父さんはすぐに、二人ともちょっと笑って、困ったような顔をして「どうぞどうぞ」と譲り合っていた。でも私と紗英ちゃんはどちらも一歩も引く気は無かった。「やだ!萌ちゃんがピンク」「紗英がピンク」と大声で喚きながら主張した。

強い日差しの中、すでに手にしていたピンクのフラフープが奪われそうになっていることにものすごい焦りを感じでいて、手に電流のようなものが走っていた。

先生が登場し、謎の提案を始めた。「紗英ちゃんピンクが似合うから、譲ってあげたら?」「萌ちゃん、ほら水色も可愛いよ?」その瞬間に、味方が全員いなくなったような気がした。綺麗な紗英ちゃんはピンク、私は水色なんだ。先生もお父さんもお母さんも同意しているんだ。綺麗な人に綺麗なものを奪われる、私が綺麗な顔じゃないから。ここまで鮮明に考えられていたか定かではないが、心の奥底をグッっと押されるようにショックを受けた。

だけど私は、ピンクを譲らなかった。周りの雰囲気にしたがって、ピンクのフラフープを譲ることは。綺麗な顔の人に負けたことになると思った。だからより一層大きな声で泣いて、より強い力でフラフープを引っ張って、取った。結局そのあまりの暴れっぷりに、紗英ちゃんのお父さんが「水色でいいよな?」と説得をして私はピンク、紗英ちゃんは水色のフラフープを持って走りゴールをした。

端から見たら、欲しいものを譲ってあげられる可愛い子供と、泣きわめいて欲しいものを強奪するブスな子供に見えたと思う。だけどその時の私には、ピンクのフラフープを絶対に自分が手に入れることでしか、小さなプライドを守りきれなかった。

あの時から、可愛いを理由に、はたまた可愛くないを理由に何かが起こるんじゃないか。優しい心や思いやりももちろん大切だけど、’’可愛いこと’’がそれと同じくらい重要視される世界なんじゃないか?と感じ始めた。

 

「やっぱりお前より、山下の方がカワイイな」

小学4年生のある夏の日。好きな人に「ねぇねぇ」と話し変えられて、ちょっぴりドキドキしながら振り向いた私に告げられた言葉。横には大親友で、清潔感があって、お道具箱の中が綺麗で、字が可愛くて、いい香りのするペンやラメのペンを何本も持っていて、ピアノを習っている山下さんがいた。’’可愛いすみれちゃん’’は。私と同じように振り向いていて、少し微笑んでいた。「やっぱりお前より、山下の方がカワイイわ」2回も同じ内容のことを言われて、私は悪態をついて何も気にしていないフリをすることしかできなかった。心の中は、すみれちゃんよりも可愛くない顔だったんだ、そんな、そんな。今振り向いた時自分は変顔していたんじゃないか?今だけ偶然、自分が不細工だっただけなんじゃ。どうにか否定したくて必死だったが、確かにすみれちゃんの方が、顔だけでなく、性格も雰囲気も持ち物も可愛かった。すみれちゃんはこの時「そんなこと言っちゃダメだよ」とちょっと怒っていた。やっぱり可愛く、プリッと怒っていた。否定するではなく’’言ってはダメなこと’’。本当のことだけど、傷つけたら可哀想だから言ってはダメなことということだろう。当時私が好きだった人も、かなり意地悪だが(小学生だから当たり前だ)この一件で、私はさらに「周りより少しでも可愛くいること」で自分を守りたいと思った。そして、可愛いは顔が綺麗なだけでなく、性格やせめてブスとは認定されないレベルに早くならないと、今後の人生が辛くなるのと確信したのである。

 

小さい頃から、こんな機会はいっぱいあった。きっとどんな女性にもあると思う。クラスで誰が可愛いかのランキングがされて、上位に入っていてホッとした瞬間。中学校の登下校中に、後ろから足太と言われた瞬間。友達と一緒にいて、自分だけに怪しげなスカウトの声がかかる瞬間。女性同士の褒めあい中に、自分だけ容姿以外を褒められる瞬間。可愛い側に配属される時もあるし、可愛くない側に配属される時もある。圧倒的に勝ち目が無い時もあるし、自分の未来希望を持てる時もある。事あるごとに「可愛い」と「可愛くない」を意識せざるをえない。意識して、努力する度に影で自意識過剰と言われたり、ナルシストと言われたりした。だけどなんとか、生まれ持ったものを使って可愛くなろうと18年間一喜一憂しながらも上を向いて来たのである。

 

22歳大学4年生になった今、憧れていた綺麗で可愛い女の人には全くなれていない。だけど、’’可愛く無い事’’を理由に日常生活でふと傷ついたり、何かに負けてしまう事は減った。おしゃれなカフェにも前を向いて入れるようになったし、最先端のヘアサロンにも怯えずに通える。この学生時代何回も合コンに行って、ある程度男性からアプローチを受けてきた。就職でも、顔が大事と言われている商社の一般職の座を掴んだ。(残念ながら5大商社には入れなかったが、その次くらいの会社だ)

 

そんな風に人にいいと思われるように、隣の子より綺麗になろうと努めてきて、最近、疲れてしまった。これまで頑張ってきた事に後悔は一切ない。だけど、優れた容姿を持っていなくても幸せそうな人は大人になるにつれてどんどんと周りに増えてきているし、その人たちを次は’’羨ましい’’なんて思い始めている自分がいるのである。

 

 

※全てフィクションです